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2020年2月15日(土) cero『Contemporary Okayama Cruise』 のこと

· ポップス

今回、ライブレポートをしながらceroの現在の音楽性や、それに対する自分の考えを共有できたらと思っています。

かつて私は運営していたブログでceroのライブのことを比較的事細かに記録をするようにしていました。

2011年から2015年か2016年くらいまで続けていたのですが、あるきっかけがありそのブログを削除。結局後悔。

どれだけ荒々しくてアホみたいな表現だったとしてもそれなりに数少ないソースして成り立っていたのに、

その重要性に目を向けず苦し紛れに削除してしまった私は馬鹿者です。

悪あがきにwayback machine(簡単に言うと運が良ければ好きなサイトの過去のアーカイブを覗けるエンジン)

を見たら…ありました。誰だ2015年に保存していた輩は!

想像以上に語彙力のない自分の文章力にがっかりしていますが、興味のある方はどうぞ。

https://web.archive.org/web/20150828162048/http://chaimilk.hatenablog.com/

というわけで、久しぶりにceroのライブについて口を開くことになってしまったのです。

先述の通り、殆どまとまっていないレポートを書き続けていたので正直気が重たい。でもやるんだよ!(根本敬)

さて、『Contemporary Tokyo(あるいは都市名) Cruise』と銘を打つイベントは過去何度もあったのですが、

今回のように、ワンマンツアーで全国4箇所で開催するというのは、アルバムのリリースツアー以外では初めてだと思います。

それで開催地が、東京、岡山、仙台、名古屋。

この文字列を見てまず、関西地方での開催がない、と思った方が大半のはず。私もそうです。

この10年近くで確実に関西でだけで数十回はceroのライブを見ているし、色んな観点から考えても関西地方での開催がない理由がわからなかったのです。ある種の異常事態だ、と。

お前も異常なほどにceroのライブを見ているなと突っ込んでくださった方、その通り!

なので尚更岡山に行く必要があると思い、岡山のみ、チケットの先行抽選に応募。そうしたら当たってしまった。

岡山周辺が地元、あるいはすみかの友達、抽選に応募していそうな各地の友達に状況を聞いてみると見事に落選祭。

キャパが500くらいのエビスヤプロでの開催、そして年々上がっていくceroの人気ぶり、を考えるともれなくこの状況になるのはわかるはず、ですよね。

その人気ぶりが上がった要因を解明すると、ブラックミュージックの定着は絶対に外せません。

 

世界的には一口にシティポップの流行もありましたし、日本では何故か先駆けて一連の流れはありましたが、

シティポップの音楽性は比較的さらっとしているので、ceroの音楽には少なからず要素があったにせよ、

彼らの作る音楽には作りこみがあるので、そこまで強く結びつきが感じられないのが私の所感です。

特に、2015年に発売のアルバムObscure Ride、2018年に発売のPoly Life Multi Soul。

いずれもR&B、ジャズ、ファンク、ヒップホップの要素が色濃く反映されているように思います。

その音楽性に合わせるように、 技術力と表現力がただでさえ段違いのメンバーをサポートとして迎え、活動しています。

GUIROのメンバーでもあり、昨年の大ヒット曲Foorinのパプリカのレコーディングにも参加していたベーシスト厚海義朗。

チムニィやランタンパレード、藤井洋平などはもちろん、最近では草彅剛バンドにも参加した光永渉。

グリーンフィールドの雄大さと色気を兼ね備えソロ活動でも何十万馬力の力を発揮する古川麦。

彗星のごとく現れ天女のように舞い降り、様々な場所に彩を添える角銅真実。

最近ではFINAL SPANK HAPPYでも活動し抜き打ちで男女問わず虜にしていく小田朋美。

と同時に、世界中でもブラックミュージックの地位がどんどんのし上がり、更に日本の音楽業界においてもそれらの要素が市民権を得たし、日本でも現に星野源やPUNPEE、King GnuやOfficial髭男dismなどが大人気になったように感じます。

その点、ceroは先駆者だったと言わざるを得ない状況になってしまったのです。

自分の実体験なのですが、レッドツェッペリンが大好きなSGギター使いの高校時代の友達(弁護士)が急にceroにハマリ、

一昨年のPoly Life Multi Soulのリリースツアー東京編を一緒に見に行くことになったのはあまりにも衝撃的でした。

更に今回の岡山では妹の親友に自分の姿を発見されており、それで終演後妹から連絡があったのも驚きでした。

そして今回のツアー、予め各所にスケジュールの関係で参加できないメンバーがいる、

要するに、各日でバンド編成が違うとのアナウンスがありました。

確かに、サポートメンバー達が個々に活動をしているので承知の上だけれども、

それにしても事前に知らせておくのは何故だろう、と考えました。

その解答は実際ライブパフォーマンスに表れていたように思います。

新旧織り交ぜたセットリストになっていたのですが、どの曲も現ceroのアレンジが加わっているので、

どの音源と比較しても全くの別物、本気の演奏で、既知のceroはどこにもいないのです。

披露されたのが久しぶりの、『我が名はスカラベ』、『ロープウェー』のようなシングル収録曲であっても。

ツアー表題曲『Contemporary Tokyo Cruise』であっても。まさに圧倒の二文字。

さらにホーン隊(こちらも会場によって編成が異なる)の小西遼、大石俊太郎が加わり『Elephant Ghost』が披露されると、

会場ごと全員が吹き飛ばされそうなくらい威力を放ち、

「ここはアメリカのニューオリンズか!?ビルボードか!?」とさえ思いました。

ただ、そんな演奏であっても、予めアナウンスのあったとおり、角銅真実のいない編成で、

その「穴」があることが聴いているうちにまざまざとわかってしまったのです。

ほぼメンバーなどの知識も入れずに一緒にceroのライブを見に行った私の夫(ライブは過去にフェスなどで4,5回見ているらしい)も「パーカッションとコーラスがないのが分かる」と感想を述べていました。

要するに、現在のceroの体制だとサポートメンバーであろうと、

比較的大所帯の状態でないと活動が続けられなくなっていること。

個々が他に活動場所を持っていても、ceroの中で一人一人が必須要素を持たざるを得ない状況で、

誰かひとり欠けてしまうと完全体ceroを披露できない状況になってしまったのだと。

そしてそれは、ceroが今まで時代や音楽創作と真剣に向き合った結果なのだとも。

また、先日配信が始まったばかりの新曲『Fdf』では、レコーディングに参加していない橋本翼と厚海義朗が

自分の竿楽器を持って演奏をしているし、更にはボーカルギターフルート担当の髙城晶平がエレクトリックパッドを取り出し、パーカッションパートも担う。全力モードにも程があるだろう!と、ハラハラしました。

それらに加えて、定評のある照明の演出や、PAの腕、エビスヤプロの最新の音響設備

(どんなに音がでかくても不思議と耳が痛くない!)も相まって、私は見事に打ちのめされたのです。

荒内祐の前に用意されたカプリコみたいなMC用マイク(本人はローターみたいだと言っていた)や

演奏中たまに見せるおどけた顔、台湾のクラブに半パンで向かったらエントランスで止められた橋本翼のエピソード、

アフターパーティーに向けて今はノンアルコールビールを飲んでいた髙城晶平のMCがあって本当に良かったと思う程でした。

そんな状況下で相当な体力を奪われてしまったので、同会場で行われるアフターパーティーに足を運ぶか非常に悩みました。

このイベントのパターンも珍しいかもしれませんが、岡山のceroのライブに行っている人にとっては恒例のイベントで、

自分にとってはcero各メンバーの核をなんとなく再確認できる貴重な機会。

それに、地方だからこそできる規模感で、同じ会場なので、気楽なんですよね。まさにチルアウトに最適。

もしかしたら、東京や関西で同じようなことをやろうとするとなかなか難しいのかもしれないし、

彼らにとって必要なタイミングだったのかもしれないことを感じ取ったのです。

悩みに悩んで、結局宿で一時間ほどお風呂に入ってからエビスヤプロに再び向かい、

0時から1時半までの比較的短い時間でしたが参加しました。それが結果的に良かった。

ceroの3人はDJを通してMCのようにいつもどおりで、あらぴーはドローンやノイズミュージック、たかぎくんはお気に入りの歌詞のある音楽をかけ、はしもっちゃんはSOM TAM CLUBで培ったDJの腕を披露。

それぞれの羽を大事に温存していたのを感じることができました。

そして、名古屋、仙台でのライブが控える中、髙城晶平のソロプロジェクト、

Shohei Takagi Pallarella Botanicaの音源『Triptych』の発売とリリースツアー

(ソニーミュージックとカクバリズムの連名!)が発表されました。

正直私はものすごく安堵しています。

時代や流れはとめどなくありつづけるけれど、どうか、それぞれのメンバーがceroという枠を更に飛び越えて、もっと自由にのびのびと音を楽しんでほしいと願っています。

もちろん、他のアーティストも、リスナーも、できるだけフリーな気持ちで音を楽しんでほしいです。

それすら自由にできなくなるような生活を強いる各方面からのやり方や仕組みは、誰にとっても辛いんじゃないかなと。

正直、ceroの皆様は言われなくてもやっていらっしゃるので、少なくとも、私はただひたすら、音楽を通じてできた大事な友達と見守るのみです。

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